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いじめと親と教育

 いじめでの自殺が連鎖反応で発生しています。自殺というのはすごく度胸がいることだと思っている。いわば「火事場のクソ力」で自殺できるほどの「火事場」だということでしょう。いじめというものは、「いじめやすいから」というつかみどころの無い理由によることが多いです。いじめられている本人もなぜ自分がいじめられのか理由がわからないので、癒しどころがない。

 それでも、自殺に至るか否かはただ一点の違いしかないと思います。「いじめられているということを親に話して一緒に対処してくれていたか」という点です。



 誤解を恐れずに断言します。いじめで自殺した親は学校を責める前に自らを責めるべきです。既に、学校が生徒の勉強以外のことまで親身になって接してくれる時代ではありません。そして、そんな学校を望んだのは「親」です。「しつけ」と「体罰」の違いを見極めることをさぼり、受験勉強の低年齢化を促進させて義務教育を受験教育にすることを声高に望んだのですから。そうであれば、まず、いじめに気づくべきは親です。学校ではありません。学校はいじめの現場でしかない。しかし、いじめはいじめられている側の心理に最初に気づいてやらなければなりません。家族間のコミュニケーションがとれている親は気づくことができます。気づけなければ、自分の家庭がコミュニケーションがとれていないという結果なのです。どんなに言い訳してみても、責任転嫁をしてみても、一番責任が重いのは親なのです。



 学校は責任がないのか。勿論こちらも責任がある。親や社会の声に惑わされて自分の領域でやるべきことを蔑ろにしてしまったことに責任があります。隠蔽体質については特にコメントはない。それは論外だからです。いじめだけではなく、子供の心理の形成にまで向き合うこと、それも日常的に向き合い、導きあうことは大変疲れることだと思う。しかし、それこそが教師という仕事のやりがいなのです。その志を持つ教師はとても少ないでしょうし、その志こそが教師の本分であるということを理解している教師がさらに少ない。そこに教育現場としての責任があると思うのです。