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「関係の空気」「場の空気」

冷泉 彰彦
「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

 日本語の特徴は「空気」であり、日本語特有のぼかし表現が「空気」を作り出す。そのうち、一対一の会話における空気を「関係の空気」、三人以上の場における空気を「場の空気」と定義する。本書は、前者は必要なもの、後者は問題のあるものという仮説に基づいて論理を展開する。


 「第一章 関係の空気」では、必要とされる一対一の会話における空気について説明する。会話の言動に明確に登場しない、或いはさせないことによって、会話の内容をその情感までも共有しようとすることなど。


 「第二章 日本語の窒息」では、自殺の増加、キレやすい、突発的な殺人、いじめといった社会問題の要因を、「関係の空気」の欠乏によるものという視点で論じる。ここで「日本語の窒息」という「関係の空気」の欠乏要因について次のように述べる。


問題を前にして、何も言葉が出ない。

明らかな対立があるのに、歩み寄れない。いや、その前に、対立そのものを浮き彫りにすることもできない。

明らかに傷ついている人がいるのに、慰めることができない。

気まずい雰囲気が濃くなっていても、その場を救う言葉が出ない。

世代が違うだけで、全く共通言語がない。

男と女、教師と生徒の間で自然な会話が成り立たない。

そんな中、空気が欠乏し会話が破綻する。やがて沈黙が支配する「日本語の窒息」の瞬間がやってくる。

(p.61)


 「第三章 場の空気〜『空気の研究』から三十年」では、山本七平の『「空気」の研究』をベースに、「場の空気」について論じる。「空気を読めよ」というフレーズが当てはまる「場」、政治、職場、学級といった「場」において理屈ではなく空気が支配することによる問題を洗い出す。


 「第四章 空気のメカニズムと日本語」では、日本語の特質が「空気」生み出すという考えに基づいて、それを検証していく。特に「関係の空気」として問題がないが、「場の空気」としては考えた場合に問題となる特質について論じる。そして、「関係の空気」と「場の空気」の相互作用が崩れてしまっていることによる問題、つまり、「関係の空気」が希薄になりつつあるために、「場の空気」がもてはやされる結果になってしまっている現状があるという結論を導きだす。


 「第五章 日本語をどう使うか」では、ここまで述べてきた問題を解決するための方法としての、日本語の使い方を整理する。日本語の特質を踏まえた適切な用法を論じる。


 流行の言葉でいえば「空気ハックス」。まずい。「web2.0」並みに「ハックス」を濫用している気がする。コミュニケーションの基本とも言える「言語」の使い方について、一対一のコミュニケーションと三人以上のコミュニケーションのあり方を述べていると考えてみると、全てに日本人に必読。小学校の教科書に使ってみてほしいものだ。